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さよなら

  1. 2010/07/29(木) 19:03:24|
  2. 小説|
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20100729190324


徹底的

「みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」
今の時代は不徹底の時代である。金持ちでもなく貧乏でもない中産階級がごまんといる。人生を不徹底に生きている人にとって聖書理解は難しい。聖書は徹底した人間によって書かれたからだ。登場人物も徹底している。
なかんずく新約聖書の立役者使徒パウロはすべてに徹底していた。パウロがいたからこそキリスト教は異邦人社会に急速に広まって行った。彼の何が徹底していたのか。
クリスチャンを迫害していた彼が最も熱心なクリスチャンになったからだ。使徒パウロの心理的激変は不思議な出来事だが、人が極端に走れば必ずその反動はあるものだとの証拠になる。彼にも良心はあった。
自分が正当だと信じていた迫害が実は不当であったと気付くまでは長い時間がかかった。しかし不当は不当のままでは決して終わらない。何故なら不当には少なからず全人的にストレスが付きまとっているからである。
全人的ストレスのポテンシャルは漸次高まっている。程度の差こそあれ高まっているのは確かだ。パウロは熱心であるが故にポテンシャルが一気に高まった。そこでそのストレスに耐え切れずに良心の呵責を覚え、瞬時に改心したのである。
パウロが改心できたのは旧約聖書の素養が人並み以上にあったからである。悔い改めの前には罪の自覚が必要である。当時のユダヤ人は律法の知識も含めた旧約聖書の知識を持っていた。だから罪の自覚だけは感じていた。
ところが現代に罪の自覚を促す背景はない。確固とした道徳教育がなされていないために、誰もが自分の正当性を固持して生きている。従って権利は主張するが、義務に対しては目が向かない。
日本でキリスト教人口が伸びないのは当然である。良心を覚醒させる準備としての道徳教育がどこにもない。学校にもない、家にもない。さらに日本人からガムシャラさが消えた。誰もが漫然として生きている。
善悪の基準が不明瞭である上に徹底した生き方をする人間がいなくなれば、その社会は滅びに向かうしかない。何故なら変革のエネルギーが育たないからである。現状維持の社会は終息に向かっている。
変革のエネルギーは心が起爆剤となっている。その心が現状を肯定しているのであれば、他になす術は見当たらないのである。
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